未分類日記画集短歌池澤夏樹池田晶子石牟礼 道子井上荒野打海文三垣谷美雨奥田英朗梶尾真治鎌田慧熊谷達也佐藤正午重松清篠田節子青来有一瀬尾まいこ高木 彬光高村薫津本陽辺見庸広瀬正町田康三浦しをん水谷修宮部みゆき山崎ナオコーラ山本幸久渡辺球「考える人」編集部ジョン・アーヴィングアリス・アダムズマーガレット・アトウッドヤン・アベリランス・アームストロングロナルド・アンソニージェニファー・イーガンケルテース・イムレリュドミラ・ウリツカヤマーガレット・エドソンキム・エドワーズフラナリー・オコナーポール・オースターイタロ・カルヴィーノジョイス・キャロル・オーツフィリップ・グランベールフィリップ・クロデールイーサン・ケイニンクラウス・コルドンジョゼ・サラマーゴシルヴィー・ジェルマンアーダルベルト・シュティフターベルンハルト ・シュリンクジョン・スタインベックスタンダールジョーダン・ソーネンブリックソルジェニーツィンエイミー・タンイヴァン・ツァンカルリディア・デイヴィスアイザック・ディネーセン ヨハンナ・ティデルドストエフスキートルストイジョアン・ハリスメリッサ・バンクメイブ・ビンチージャック・フィニイケン・フォレットファニー・フラッグレイ・ブラッドベリタナ ・フレンチリチャード・ブローティガンヘルマン・ヘッセカーレド・ホッセイニアンドレイ・マキーヌロン・マクラーティエリザベス・マクラッケンカーソン・マッカラーズユベール・マンガレリスティーヴン・ミルハウザーマーシャ・メヘラーンモームジェフリー・ユージェニスK・J・ラミンフィリップ・ロスロイス・ローリードリス・レッシングマイク・レズニックノンフィクション・エッセイ他ローリングス海外ミステリー南米の作家
読書記録です。
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2010.09.22 Wed
赤と黒〈上〉 (岩波文庫)赤と黒〈上〉 (岩波文庫)
(1958/01)
スタンダール

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赤と黒 下    岩波文庫 赤 526-4赤と黒 下  岩波文庫 赤 526-4
(1958/01)
スタンダール

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スタンダールも未読だったので、『パルムの僧院』と『赤と黒』を迷って、『赤と黒』をまず読んだ。

正直なところ、この作品のどこが良いのかまったくわからなかった。

簡単に言えば、貧しい生まれのジュリアン・ソレルという美青年が家柄の良い女性を利用してのし上がろうとする物語だ。

女性ほとんどは、ジュリアン・ソレルの生き方に共感できないんじゃないかと思う。

本の「はしがき」によれば『赤と黒』は、当時話題になった事件を題材にし、当時のフランスの身分尊重主義を批判した作品のようだ。

ふ~ん、そうですか。

『赤と黒』を読みながら思い出したは、映画の『太陽がいっぱい』だ。

サスペンスだと思えばそれなりに読めるが、人間の内面に食い入るような深い思想は、私には感じられなかった。
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2010.08.23 Mon
ヘルマン・ヘッセ全集〈第12巻〉ガラス玉演戯 (1958年)ヘルマン・ヘッセ全集〈第12巻〉ガラス玉演戯 (1958年)
(1958)
高橋 健二

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ヘッセは10代の頃から好きな作家だ。
『ガラス玉演戯 』は二十歳ぐらいのときに一度読んだことがある。

読み返してみて、難解さに驚いた。
以前読んだときには、おそらく殆ど理解していなかっただろうと思う。
ヘッセの小説の表層に浮かぶある種の「甘美さ」のようなものに反応していただけだったに違いない。

『ガラス玉演戯』は近未来小説である。
人間の精神性が高く評価されるカスタリーエンという架空の社会をヘッセは創造した。

主人公のクネヒトは幼くしてカスタリーエンの住人に選ばれ、国の思想に添って成長していく。
理想形に近いカスタリーエン人へと成長をとげ、若くして演戯名人の座にまで昇りつめたクネヒトではあったが、彼が選択したのはカスタリーエンを去り俗世で生きるという道だった。

『ガラス玉演戯 』は、第二次世界大戦を間にはさみ、11年という歳月をかけてを執筆された。
ナチ党との対比という形でヘッセはカスタリーエンという理想の国家を考えついたのかもしれない。
ヘッセは、ユートピアのような国であっても人間を選別し他者を排する国に未来はないと言いたかったのだろうか。

一方で、なにを人間としての到達点と考えるのか、ということについても考えさせられる作品である。

今回、読んでも充分に理解できたとはまだまだ言い難い。
何年か後に、また読んでみたいと思う。
2010.07.08 Thu
沼地の記憶 (文春文庫)沼地の記憶 (文春文庫)
(2010/04/09)
トマス・H. クック

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記憶シリーズの5作目で、今年出版された最新作。

シリーズと言っても続き物ではなく、シチュエーションも登場人物もまったく異なる物語である。
共通しているのは、過去の出来事が、現在起きている事件の重要なファクターになっている、という点だ。
記憶シリーズの登場人物たちの過去には、他人に知られたくない事情や過ちがある。
隠蔽された過去が暴かれる度、登場人物たちの姿も少しずつ明確になっていく。

クックのミステリィーのなかでも、私はこの記憶シリーズが好きだ。
事件が巻き起こった当初、人々の心のなか芽生えた激情は、時間とともに薄らいでいく。
薄らいで行きながら、長い時を経ても尚、忘れ去られずに人々の心に痕跡を残している。
クックによって細やかに作り上げられた背景のなかに、人間の背負っている哀しみや悔恨が滲んで見える。

あとがきに、トマス・H・クックへのインタビューが載っている。
タイトルに「記憶」と付けたのは日本の出版社だが、クック自身もそのタイトルが気に入っているようだ。

インタビューのなかでクックは自分の小悦について、
「細心の注意を払いながら、問題となる犯罪の一面を明かしてゆく。
次の一面、また別の一面、と物語を進めていき、最後にモザイク模様が形を成して、そこで読者は不意に、実際に起こったことは何であり、それが何故起こったのかを知るこちになる……そんな小説です」
と語っている。
まさにそんな物語である。

『沼地の記憶』では、アメリカ南部の小さな街レークランドが舞台になっている。
語り手のジャック・ブランチは現在グレート・オークスという屋敷に住んでいる一人暮らしの老人だ。
物語は、ジャック・ブランチがレークランド高校の教師だった1957年を振り返って語る形で進行していく。
1957年、ジャック・ブランチの教え子に殺人犯の父親を持つエディ・ミラーという少年がいた。
同級性の美少女が失踪した際、真っ先に警察から疑いをかけられたのがエディ・ミラーだった。
エディの文才に気がついたジャック・ブランチは、殺人を犯した父親についてレポートを書いてはどうか、と提案した。
レポートを書くために父親の過去を調べ始めたエディーは、思わぬところでブランチ家との繋がりを見つけだした。

2010.06.21 Mon
七人の使者七人の使者
(1990/06)
ディーノ ブッツァーティ

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ディーノ・ブッツァーティー(1906~1972)はイタリアの作家。

カフカ的な作風の作家と言われているらしい――ということで、短編集の『七人の使者』を読んでみた。

『七人の使者』には、短い物語が16編収められている。
私が読んだ印象では、カフカと言うより『世にも奇妙な物語』だ。
「奇想の書」と呼ばれているような本はだいだい好みなのだが、『七人の使者』のなかのいくつの作品はとても後味が悪かった。

特に『Lで始まるもの』では、主人公の愚かさより、物事に対するブッツァーティーの認識の浅さが気になった。
ある疾病を人生の懲罰として描くというのは、どうなんだろうか。

私は、ジャーナリストや作家は常に弱者の視点を持つべきだと思っている。

『七人の使者』のなかには面白い発想の物語りもあったが、「面白から良し」とは思わない。

作家の視点の在りようを考えさせられた一冊だった。

2010.06.12 Sat
通話 (EXLIBRIS)通話 (EXLIBRIS)
(2009/06)
ロベルト ボラーニョ

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南米の作家とはあまり相性が良くない。
南米出身の作家の小説を読んで、初めて好きだと思ったのが、この『通話』だ。
著者のロベルト・ボラーニョ(1953~2003)はチリ生まれの作家。
2003年に50歳で亡くなっている。小説家でもあり、詩人でもあったそうだ。

『通話』は短編集で、「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」という三つの項目に分類されている。
「通話」には日の目を見ることが無かった作家の物語が5篇、「刑事たち」は何らかの形で事件が絡んだ物語が5篇、「アン・ムーアの人生」には女性を描いた短編が4篇収められている。

どの物語も登場人物が少ない。
ほとんの短編が、語り手の目から見たたったひとりの相手の物語だ。
他の小説のような神の視点ではないため、語られている人間の言動の理由が明らかにされない場合が多い。
実生活で私たちが他の人間の全てを知りうることが無いように、ボラーニョの短編も、語り手が知っている範囲でだけ物語が語られる。
そのせいか、本を読んでいるのに誰かから直接話を聞いているような気持ちになった。

『通話』には、心を病んだ女性が何人か登場する。
「エンリケ・マルティン」のなかで、「詩人の人生には破滅と狂気と死が待ち構えている」と書いているボラーニョは、そういう女性たちのなかに詩人と同じような気質を見出し、そこに轢かれたのかもしれない。

「センシニ」
語り手の「僕」はメキシコからスペインにやって来た、20代の青年。
作家を目指している僕は、アルコイ市のスペイン文学賞に応募し三位に入賞した。
その同じ賞の二位には、アルゼンチンの作家ルイス・アントニオ・センシニの名前があった。
センシニの小説のファンだった僕は、センシニに手紙を送った。そこから、センシニと僕の文通が始まった。

「芋虫」
連日、学校をさぼっている「僕」は、メキシコ市内の映画館や公園沿いにある本屋で時間を潰していた。
書店の窓から見える公園のベンチには、いつも同じ男が座っていた。
ストローハットに白いシャツの男は「芋虫」に似ていた。
あるとき、芋虫が僕に声をかけて来た。
そのときから僕はベンチの芋虫の隣に座り、芋虫が語る故郷の村の話に耳を傾けるようになった。

「アン・ムーアの人生」
1948年生まれのアン・ムーアの半生を綴った作品。
アンが10歳のときに姉のボーイフレンドが起こした陰惨な事件が、その後のアンの人生に影響を及すことになった。

あとがきによると、語り手の「僕」は作家の分身的な存在なのだそうだ。
「ぼく」を含む短編の主人公たちは、出会った人々と束の間の関係を結び、離れていく。
誰かと共に人生を生きようとすると失敗に終わってしまう。
50歳で亡くなったポラーニョの人生の片鱗に、物語のなかで出会ったような気がする。
2010.06.07 Mon
運命の日 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ)運命の日 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2008/08/22)
デニス・ルヘイン

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運命の日 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ)運命の日 下 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2008/08/22)
デニス・ルヘイン

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『シャッター・アイランド』を読んだときに、あまり良くなかったと感想を書いたら、『日記風雑読書きなぐり』のよっちゃんから、同じ著者の『運命の日』は傑作だとコメントを頂いた。
最初にめぐり合った本で作家に評価を下して、その後、印象の良くなかった作家の本は手に取らないことも多いので、良い作品があると教えて頂いて嬉しかった。

『シャッター・アイランド』がミステリィー小説だったので、『運命の日』もミステリィーだと思って読み始めたら、違った。
ボストンで1919年に実際に起きた警官のストライキを軸にした読み応えのある小説だった。勇気ある行動が次世代のための礎になるとわかる小説でもあった。

あとがきには、「1919年の市警のストライキと、それにともなう大暴動を扱った歴史物」と書かれていたが、私は「歴史物」だとは思わずに読んだ。
史実そのもよりも、人間が織り成すドラマに重きが置かれていると思った。

著者は警察官のダニーと黒人のルーサーを通して、父と息子、男と女、仲間との間に生じる軋轢や愛情を丹念に描いている。
ダニーと父の関係では、『エデンの東』の父と息子を思い出した。

小説の背景になったのは、アメリカでも社会情勢が非情に不安定な時代だった。
第一世界大戦の末期であり、1917年にロシア革命が起ったせいでアメリカでも左翼活動家が急増した。
さらにはスペイン風が猛威を振った。
ボストン市警に勤務するダニーは、そんな不安な社会状況の最前線に送り込まれる。
一方、オクラホマでギャングを殺害した黒人のルーサーはボストンにたどりつき、ダニーの実家の使用人になる。しかしダニーの名付け親で警部補のマッケンナに過去の罪を知られてしまう。

『運命の日』には、本筋とは別にベーブ・ルースが登場する章がいくつかある。
ベーブ・ルースの登場シーンには、穏やかさとノスタルジーが漂う。
緊迫したストーリーのなかにある色合いの異なるベーブ・ルースの章が,とっても好まく感じられた。

2010.05.18 Tue
イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)
(1963/03)
ソルジェニーツィン

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「イワン・デニーソヴィチの一日」はいつか読もうと思っていた。
ソビエトの強制収容所の話だと知っていたので、気合を入れないと読めない重い作品なのではないかと、なかなか手が伸びなかった。
先日、ソビエトの収容所が舞台になっていた「「グラーグ57」を読んだ。
そこで、この機に乗じて、「イワン・デニーソヴィチの一日」も読んでみようと思った。

図書館で借りたのは昭和37年第一刷という古い訳の文庫本だった。
しかし思いのほか読みづらさは感じなかった。
あとがきによると、原作自体が吟味された簡潔な文体で書かれているという。
苦を感じずに読めたのは本の薄さや、そうした文体のせいばかりではない。
強制収容所という過酷な場に身を置きながら、主人公のイワン・デニーソヴィチは一日を実に生き生きと過ごしている。
イワン・デニーソヴィチは誇りを持って仕事に臨み、仕事の出来栄えに満足感を覚る。十分とは言えない食事にさえも喜びを見出す。

そんなふうに一日を幸せに終えたイワン・デニーソヴィチに対して、本を閉じた私は複雑な思いだった。
強制収容所に比べるとはるかに恵また環境に居ながら、私はイワン・デニーソヴィチのような充実感を持って一日を終えることは少ない。
強制収容所の囚人たちのように、生きることだけに集中して一日を過ごしていないせいだろうか。

ソルジェニーツィンの処女作である本書が出版されたのは、1962年。
ソビエトはフルシチョフの時代だ。
この作品を世に出そうとした編集者がフルシチョフ首相と直接面談し、作品を発表する許可を得たそうだ。
どの本も読む人によって受け止め方が異なるが、「イワン・デニーソヴィチの一日」は、特に多義な解釈が出来る作品だと思う。
トルストイの系譜のような作品でもあるし、物にあふれた現代の私たちに警鐘を鳴らす作品でもある。
スターリン亡後なおも生活が窮乏していた国民への、なんらかのプロパガンダとして「イワン・デニーソヴィチの一日」を利用しようという意図がフルシチョフにあったのかもしれないと詮索させるような作品でもある。

2010.05.08 Sat
グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)
(2009/08/28)
トム・ロブ スミス

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グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)
(2009/08/28)
トム・ロブ スミス

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「チャイルド44」の続編なので登場人物は同じだが、本書からでも読める。
前作と同様、息をもつかせぬストーリー展開なのはむろん、今回は家族の絆を築きあげていく物語でもあるので、女性には「「チャイルド44」よりこちらのほうがお勧め。

「チャイルド44」から三年。
レオは新たに創設された殺人課の責任者となり、前作でも登場したネステロフと秘密裏に殺人の捜査に当たっていた。
レオとライーサの夫婦関係は修復され、前作の最後で養子に迎えたゾーヤとエレナ姉妹と一緒に暮らしている。
4歳で養子になった妹のエレナはレオとライーサに心を許しているが、当時10歳になっていた姉のゾーヤはレオを受け入れようとしない。
そんななかかつて社会保安省に勤務していた二人の男があいついで自殺をとげた。
二人の男は7年前の教会司教ラーザリの逮捕に関与していた。
ラザーリの逮捕は、国家保安省時代のレオが初めて経験した逮捕劇でもあった。神学校の卒業生になりすまし教会に入り込んだレオは、ラザーリの妻アニーシャとも関係を結んだ。
そのアニーシャも夫とともに逮捕され、強制収容所送りになった。
三年前に釈放されアニーシャは、フラエラと名を変えヴォリと呼ばれるならず者の一団を率いるリーダーへと変貌を遂げた。
国家と国家に尽くした人間たちへの復習を誓うフルエラが、もっとも苦しめたい相手はレオだった。

本のなかに「宗教とは、誰もが自分のことだけを考えていた時代の異物である。神とはひとえに凡夫のためのものだ」という一文がある。
スターリン時代のソビエトでは宗教弾圧がおこり、収容所送りになった教会関係者も大勢いたのだろう。
そういう社会的な事例が下地になっていることで、単に面白いだけは終わらない厚みのある物語になっている。

レオ・デミドフが主人公のシリーズは三部作で完成だそうだ。
最後の作品も楽しみだ。

2010.05.06 Thu
チャイルド44 上巻 (新潮文庫)チャイルド44 上巻 (新潮文庫)
(2008/08/28)
トム・ロブ スミス

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チャイルド44 下巻 (新潮文庫)チャイルド44 下巻 (新潮文庫)
(2008/08/28)
トム・ロブ スミス

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「このミステリーがすごい!2009年」で一位になった作品。
スターリン統治下のソビエト連邦が舞台になっている。

1933年のウクライナ。飢餓が蔓延する寒村で、幼い兄弟が猫を追って森に分け入った。食料として捕獲するためだった。
ところが、食料として森で捕獲されたのは、兄弟の兄のほうだった。

それから20年後。
国家保安省に勤務するレオは、列車にはねられて死んだとみらえる子どもの両親を説得していた。
子どもは事故死ではなく殺されたのだと両親は訴えたが、レオは耳をかさず、事故死だと言い含めた。
この社会に犯罪はない――という国家のタテマエに随従することが国に繁栄をもたらすと、レオは信じていた。
しかしレオが事故死として処理した子どもの死は、連続殺人事件の一環だったのだ。

主人公のレオはスターリン下のソビエト連邦国家保安省というなんともおぞましい機関に身を置きながら、国家の方針を少しも疑うことなく盲信し、任務を遂行していく。
災難が自分の身に振りかかって、初めてレオは物事を自分の目で見て、自分の頭で考えるようになる。

冒頭の、飢餓の村でのショッキングな出来事が、ミステリーのベースになっている。
言論が統制された国の国民ならでのは自己保身が事件を複雑にし、小説に独特の緊迫感生んでいる。
著者はイギリス人とスウェーデン人のハーフで1979年生まれ。
ロシアで実際に起きた連続レイプ殺人事件に着想を得たという。

「チャイルド44」執筆当時、著者ががまだ20代だったことを考えると、レオとライーサの誤解の上に成り立ってる夫婦関係をはじめ、さまざまな人間の関係性を捉える巧みさにも驚く。
2010.04.27 Tue
シャッター・アイランド (ハヤカワ・ミステリ文庫)シャッター・アイランド (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(2006/09)
デニス ルヘイン

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シャッター島はボストン沖に浮かぶ小さな島だ。
そのシャッター島にあるのは、アッシュクリフ精神病院とその関連施設のみだった。
1954年、アッシュクリフ病院の女性患者が行方不明となり、連邦捜査官のテディ・ダニエルズと相棒のチャックが島に派遣された。
連邦捜査官のテディは鍵のかっかった病室からこつ然と姿を消した女性患者を探す一方、別の男の行方を調べていた。
それは放火によってテディの妻を死に至らしめた犯人だった。
  

レオナルド・ディカプリオ主演映画の原作。
夢と現実が入り混じって進行していくストーリーがサスペンスの興をそぐので、ストーリーにのめり込めない。
最後のどんでん返には驚いたけど。
2010.04.16 Fri
愛は苦手愛は苦手
(2010/01)
山本 幸久

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最近、日本人作家の小説をあまり読まなくなったけど、山本幸久はわりと読んでいる。
山本幸久の本を読むと、たいがいは楽しい気分になれるからだ。

本書は、いずれも30代・40代の女性が主人公の短編集。

男性作家にありがちな、自分の理想の女性像を無理やり押し付けてくるようなところが山本幸久にはない。

女性がガス台の五徳を磨いていたり、押入れの天袋に捨てられないものをつっこんだりするような日常的な場面は、他の他の男性作家の小説にあまり描かれていないと思う。

ありのままの女性を見て、そのまま受け入れてくる。
欠点も個性と捉えて、面白がってくれる。
そんな著者の視線が感じられて、山本幸久の本は読んでいて心地いいし、楽しい。

嫁と義父との気詰まりな関係を描いた『像を数える』は、身につまされた。
山本幸久の諸説を読んで、はじめて泣いた。
2010.04.01 Thu
私は生まれる見知らぬ大地で (角川文庫)私は生まれる見知らぬ大地で (角川文庫)
(2000/01)
エィミ タン

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オリヴィアは中国人の父とアメリカ人の母の間に生まれた。
オリヴィアが3歳のとき、父が妻に遺言を残し死んだ。
中国に残してきた娘をアメリカに呼んで育ててほしいという父の遺言を、母は実行に移した。
オリヴィアが6歳になる直前、中国からクワンという娘がやってきた。
クワンはオリヴィアより12歳年上で、母親のように妹の世話を焼くようになった。
陰の世界を見、死者と話ができるクワンは、現実とは別の世界の出来事をオリヴィアに語って聞かせた。
30代後半になり夫との離婚を決意したオリヴィアは、クワンと夫と三人で中国へ旅行することになった。

レビューで評判が良かったので読んだみたけど、感心しなかった。

パール・バックのような社会的な視点がある小説ではなかった。
中国系アメリカ人のオリヴィアという女性がアイデンティテーを模索する物語なんだけど、伝わってくるものがなっかった。
とりとめがなく、ぼんやりした味わいの小説でした。

2010.03.31 Wed

悪意の森〈上〉 (集英社文庫)悪意の森〈上〉 (集英社文庫)
(2009/09)
タナ フレンチ

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悪意の森〈下〉 (集英社文庫)悪意の森〈下〉 (集英社文庫)
(2009/09)
タナ フレンチ

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ダブリン郊外の森で三人の子供たちが行方不明になった。
三人のうちロブ・ライアンは森のなかで発見されたが、後の二人はようとして行方が知れなかった。
それから20年後、殺人課の刑事になったロブ・ライアンは、同じ森で殺された少女の事件を担当することになった。

久しぶりのミステリー。
図書館の新刊のコーナーに置いてあっった。
あとがきを見たら、賞をいろいろ受賞した作品らしい。

アイルランドが舞台だ。
フランク・マコートやメイブ・ピンチーの小説を読んで、アイルランドは人間関係が濃密な国というイメージが出来上がっていた。
けれど、この本は私が抱いていたそんなアイルランドのイメージとは違った。

トラウマを抱えた孤独な刑事の主人公が一人称で語る物語で、ちょっとポール・オースター風だ。

いくつもの賞は、ミステリーに最近の小説のトレンドを盛り込んだのが評価されたのだろうか。
謎のひとつが最後まで解明されないので、ミステリーとしは物足りない。

2010.03.12 Fri
2009年2月20日発行  光文社 

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ドストエフスキーの作品は一冊も読んでいない。
しかし、本好きなのにドストエフスキーを読んだことがないというのはどうなんだろう、とは思っている。

以前「カラマーゾフの兄弟」がブームになったときに、私もそのブームに便乗しようと思った。
予約待ちをして図書館から「カラマーゾフの兄弟1」を借りた。
借りた一巻目は、どうにか読んだ。
しかし、ちっとも面白いとは思えず、二巻目以降は未だに読んでいない。

そんな失敗を踏まえて、今回は「罪と罰」全三巻をいっぺんに図書館から借りてきた。
目標は「読破」。

「罪と罰」は、大学を辞めた無職の青年ラスコーリニコフが、ある目的を遂げようとするところから始まる。

ドストエフスキーはその目的が何なのかについて触れていないが、有名な小説である。私は、ラスコーリニコフの目的が老婆殺しであると知っている。

目的を達成しよとするラスコーリニコフのようすや行動を、ドストエフスキーは事細かに描写している。
それが、恐い。

恐くて、なかなか読み進めることが出来ない。
主人公に自分を重ねるのは読書の楽しみのひとつだが、ラスコーリニコフと自分とを重ね合わせたくない。

人間の想像も出来ないような側面について知り得ることができるのも読書の醍醐味であると思って、気が進まないながらも毎日少しずつ読んでいくことにした。

二巻目の、予審判事ポルフィーリーとの会話によってラスコーリニコフの考えが明らかにされるあたりから、ようやく興味をもって読めるようになった。

ラスコーリニコフの考えとはこうだ。

人間は凡人と非凡人とに分けられる。
大多数のつねに服従するだけの人間が凡人であり、人類のより良い未来のために道を切り開く役割を担っているのが非凡人である。
そういう非凡人は法に縛らない。
むしろ大儀のためには法を犯さなければならない。
リキュルゴス・ソロン・ムハンマド・ナポレオンという偉人たちも犯罪者であった。

ラスコーリニコフが質屋の老婆を殺害したのは金目当てだった。
それと同時に、自分が非凡人の仲間入りをするためには殺人という行為が必要だとも考えた。

非常に自分本位な考えだが、殺人者のなかにはラスコーリニコフと似た考え方をする人もいるのかもしれない。
殺人者でなくとも、私たちは愚かな自己満足のためにさまざまな基準で他人を分別している。

ドストエフスキーは当時実際にペテルブルグで起こったいくつかの殺人事件に着想を得て、「罪と罰」を執筆したらしい。
ドストエフスキーは「罪と罰」のなかで殺人を犯す人間の心理をとことん追求している。

「罪と罰」は読んでいて面白い本ではないが、考えるためのツールになる本だ。

図書館の貸し出し期限の二週間で一通り読んだだけなので、内容をちゃんと把握出来ていない。
いつか、登場人物ひとりひとりの会話の意味を考えながら、じっくりと再読したいと思う。
2010.02.12 Fri
2009年3月31日発行  ソフトバンク文庫  各950円


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前作から200年ほど後の14世紀。
キングズブリッジは七千人もの住人が暮らす大きな町へと発展を遂げていた。
大聖堂がある他の町の例にもれず、キングズブリッジでも町の権力を握っているのは聖職者だった。
保守的な修道院長の政策により徐々に衰退し始めたキングズブリッジ。
そんな町を救うために立ち上がったのは、羊毛商の娘カリスと天才的な建築職人のマーティンだった。


前作と同様、読み始めたら息をつく暇もないストーリー展開で、面白くて止めれずに4時間ぐらい読み続けたら目が痛くなって、やっと本から離れることができた。
「一度飛び込んだら、もう絶対抜けらない面白地獄」という児玉清さんのあとがきのタイトルも納得。

2010.01.25 Mon
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2005年12月27日発行  SB文庫  各852円

舞台は12世紀のイギリス。
いつか自分の手で立派な大聖堂を建てたいと願う職人のトムは、家族を引き連れて放浪していた。そんなトムが職を得たのは、キングズブリッジという田舎の修道院だった。
キングスブリッジの修道院は、新しい院長のフィリップを迎えたばかりだった。
腐敗しきっていたキングズブリッジの修道院の立て直しをはかるフィリップは、トムの協力を得て大聖堂の修復に着手する。

いずれも5百ページを超える上中下巻を一挙に読んだ。

面白い。
『大聖堂』というタイトルだが宗教的な部分は殆ど無い。
様々な人物の思惑や裏切があり、戦闘が起こる。どんどんストーリーが展開する。

深い感動に浸る、というような種類の本では無いけど、こういう本も楽しい。
2009.11.27 Fri
羽田ハブ空港化構想に森田健作千葉県知事が激怒したニュースで、成田空港が建設された際の抗争が映つし出されていたのを見て、『抵抗する自由』(鎌田慧)を読んだ。

ニュースでは成田闘争は過去の出来事のように言っていたが、成田空港の滑走路の正面で今も数家族が農業をしながら暮らしている。
成田問題は、未だに解決していなかったのだ。

『抵抗する自由』と一緒に、『苦海浄土』のなかで石牟礼道子が繰り返し読んだ書いていた林竹二の田中正造の本も、図書館から借りてきた。『林竹二著作集3 田中正造 その生涯と思想』

成田闘争は昭和40年代、田中正造がその生涯を賭けて関わった足尾銅山の鉱毒事件は明治時代の後半だが、手段を選ばず農民を立ち退かせようとする政府のやり口は驚くほど似ている。

『田中正造 その生涯と思想』には、田中正造の日記が抜粋されている。

国民は法律師の奴隷たるべからず。
被害民は、被害地を指して、我はこの土地の所有者たることを忘れるべからず。


日本の気風は、下より起こらず、上よりす、民権も官よりす。
日本の民権は、民人より発揚せるにはあらざるなり。
憲法すら上よりせり。ああ一種不思議の気風なり。
日本今ま(ママ)君主制国の如く、立憲の如く、盗賊国の如し。危うし、危うし。


田中正造が嘆いた日本の気風は、100年後の今もあまり変わっていないように思う。

議員を辞めて谷中村に入った田中正造の生き方に、林竹二は深く迫っている。
田中正造の意識は、谷中村の村民と行動に共にするなかで大きく変容して行った。
正造自身はそれを、「天国へゆく道ぶしん(普請)」と名づけていた。

「天国へゆく道ぶしん」について理解できるようになるまで、私も何度か読みた返したいと思う。


『林竹二著作集3 田中正造 その生涯と思想』 0985年1月発行 筑摩書房  1600円
『抵抗する自由』  鎌田慧著 2007年5月発行 七つ森書房  1800円
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2009.11.06 Fri
2004年6月1日発行  草思社  2200円

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裁判員制度から始まってから、裁判に関係した本を読みたいと思っていた。
裁判が舞台になっている推理小説を図書館から借りて読んでみたが、求めていた内容とは違ったために、あまり面白く読めなかった。

『狭山事件――石川一雄、41年目の真実 』は裁判がメインになっている本ではないが、裁判員には選ばれたくないと思っていた私が、この本を読んで裁判員は必要かもしれないと思うようになった。

石川一雄さんは、女子高生を誘拐し殺害した罪で無期懲役の判決を受け、昭和38年に服役。平成3年に借出獄した。

有罪の決め手になったのは、自白だった。
石川さんは、取調では自白したものの、裁判では一貫して無実を訴えた。

一審では死刑、二審では無期懲役という判決が下された。
現在も石川さんは無罪を訴え続けているが、再審には到っていない。

石川さんはなぜ自分がやってもいない誘拐殺人を自白し、有罪になったのだろうか。
そこには被差別部落の出身で、小学校にも満足に通えなかったという石川さんの事情が根深く関与していた。

石川さんが容疑者となった埼玉県狭山市の誘拐殺人事件が起きたのは、吉展ちゃん誘拐事件の一ヶ月後だった。
吉展ちゃん事件での失策を挽回したい警察側は、狭山事件での犯人逮捕を急いだ。
警察側が目をつけたのは、被差別部落の若者たちだった。
被害者宅の近くには、被差別部落出身の経営者が営む養豚場があった。
石川さんは、その養豚場で半年ほど働いたことがあったのだ。

別件で逮捕された石川さんは、女子高生殺人容疑で再逮捕された。
それが弁護士に対する不信感となり、石川さんは弁護士よりも警察の言葉を信用すようになってしまった。

石川さんは、投獄されたいた31年間のあいだに文字を獲得し、それによって新たな自己を築き上げることができた。

石川さんが逮捕された昭和38年は、東京でオリンピックの前年だ。
そういう時代になっても、石川さんのように刑務所という場でしか勉強する機会を持てなかった人々がいたという事実に驚さかれる。

貧困と無知、そして非識字が、冤罪を押しつけさせた。
その恨みを、石川一雄は、奪われた文字を獲得し、刑事や検察や判事の論理を批判することが出来た。
それを、私は学ぶことの勝利と考えている。

あとがきでの、著者のこの言葉が、深く納得できる。
2009.11.02 Mon
2006年10月30日発行 藤原書房  2400円


『苦海浄土第二部』は「杢太郎の爺さまが死んだ」という短い文で、その幕を開ける。

爺さまは、重度の水俣病患者である杢太郎少年をいつも胡坐のなかにおいてあやしながら物語を聞かせた。
爺さまが語るのは、その地方で「ふゆじどん」と呼ばれていたホームレスの話だ。
家を持たないばかりか、自分のなかにさえ居場所を見つけられない「ふゆじどん」の心根のなかに人間の尊さを見出し暖かく見守る村人の物語を、爺さまは杢太郎少年にこんこんと語り聞かせていた。

水俣病患者を描写しながらも、石牟礼道子は詩情豊かに自然と人間を物語る。
困窮した状況に置かれている筈の水俣病患者からは、豊かで柔らかい人間性が伝わってくる。

水俣病患者が擁するこの豊かさは、どこから来るのだろう。
耐え難い困難さのなかで生きていることで、人間は諦観を持てるようになるのだろうか。
ほんの些細な日々の出来事を、大きな喜びとして受け止められるようになるのだろうか。

著者はあとがきのなかで、「受難の極にあるこの人々から手をのべられ、すくわれているのは、こちらのほうかもしれない」と、書いている。

一人ではけって到達できない人間の深部を、私も著者に導かれて覗き込んだような気がする。


2009.10.04 Sun
2009年3月10日発行    白水社  2000円



スウェーデンの作家ヨハンナ・ティデル(1980年~)のデビュー作で、アウグスト賞を受賞しています。

読みながら、重松清の『きみの友達』を思いだしました。
『きみの友達』で泣いた方は、この本でも泣けると思います。
私は号泣しました。

母と二人ぐらしのイェンナは中学生になったばかり。
スサンナという幼馴染の親友がいて、二学年上のサッケという男の子に憧れているふつうの中学生だ。
そんなイェンナの生活に重くのしかかっているのは、母リブが患っているガンだった。
リブは数年前に乳房を切除していたが、ガンは進行し続けていた。

 母さんが死んだら  あたしは死ぬよ
 ほんとだから
 あたしは死ぬ
 あ、ちがう、死ぬんじゃない
 自殺する、っていうんだ
 または 自分で命をたつ
 そういうことで
 母さん
 母さんが死んだら
 あたしは命をたつよ 自分の手で
     1年C組
     イェンナ・ヴィルソン

国語の時間に『愛』というテーマで書いた詩を、イェンナは誰にも見せずに持ち帰り、自室の天井の星のシールのなかにこっそりと隠した。


スウェーデンの中学生は行動面ではとても大人びていて、お酒を飲んだりタバコを吸ったりすることも珍しくないようです。
行動面ではとても大人びていても、片思いの男の子のことで悩み、友達のちょっとした言葉に傷き、大人の言葉に反発を感じる内面は、同じ年頃の日本の中学生と変わりません。

大切な人を失うその前後の日々。
中学生の少女の気持ちは大きく揺れ動きます。

少女の言葉で語れる母への思いが、胸に迫ります。
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