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読書記録です。
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2008.05.20 Tue
2006年7月30日発行 毎日新聞社



20年以上前のタイ・カンボジアの国境付近で、辺見庸は「悲惨」とか「酸鼻」という言葉では言い表せないような光景を目の当たりにし、佇んでいました。
自分達報道陣が目に見えない線を引き「見る側」に身を置いていることを感じつつ、白人のシスターたちがやせ細った難民たちや放置されたままになっている屍を黙々と運んでいる様子を、辺見は報道記者として他国の記者とともに眺めていました。
そんな自分について著者は、
「ソマリアで飢え死にする少年や少女を見ました。たくさんの人が死んでいる。でも、私にはなにもできない。なにもしない。なにもしようとしない。ただ、突っ立てって見ているだけ。そして空調のきいたホテルに引き帰すと、パソコンに必死で原稿を打ち込んでいる自分がいる。危険を冒してここまで来たのだぞ、という心持もどこかにあったのかもしれません。いい調子で原稿を書く。(中略)読んだ人は感動してくれる。本になると売れる。とてつもなく、恥ずかしくなりました」と、話しています。
「我々は勝手に誰かから、あるいは自分で領域設定をれてしまっている。われわれのそれぞれの『固体知』によってではなく、『メディア知』のみを絶えず食わされて、権力と資本と市場に都合のよいテーマだけを日々、投げあたえられ、もっぱらその枠内で発想し、喜び悲しみ反発するように導かれている。もう、そろそろ、それを拒んでもいいのではないか。まず、せめて自分の内面の境界線をなくすこと。境界線をあえて踏み越えていくこと」という箇所をはじめ、いたるところで共感し納得し、目が開かれたように感じました。おそらく今後も何度も、この本を開くだろうと思います。
そして、その度に、新たな何かに気づかされる本だと思います。
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2008.03.29 Sat
2007年3月15日発行 毎日新聞社 1500円



新聞に短い文章が掲載されていました。
そこには、通りがかりに出合った少年達の様子が綴られていました。数人の小学生の男の子が一人の少年の顔を樹に押し付けていて、そこを通りがかった著者に気がつくと、苛めていた相手から急いで手を離し、何事もなかったような明るい態度で、「こんにちは」と挨拶したという内容でした。とても嫌な光景だと思いました。それと同時に、こういうことは日本中どこででも行われているような気がしました。見えないところで寄って集って悪いことしていながら、表面を取り繕うというのは、大人の社会がそのまま子ども達の生活のなかに反映されているのだ、と思いました。
辺見庸が書いた新聞のその短い文章は、私がそこから読み取った以上に重要な何かを孕んでいるようで、ずっと頭から離れませんでした。
辺見庸の本を読んでみようと思いました。
『記憶と沈黙』は冒頭の「みなともっと別れよ。みなともっと離れよ。全くの単独者として、弧絶のなかで、私だけの理由と責任で、自問し、嘲り、叫び、祈り、狂い、殺意を向けるのでなければならない」という部分から、言葉が自分に向けて発せらているのを感じました。
ものすごく大局的な言い方ですが、私達は一人で物ごとを考え自分だけの責任で発言し、世のなかの明かるい部分の下で行われていることに注意深く目を向けていかなければならない、ということを辺見庸はこの本のなかで書いています。
自分のなかの大きく洞になった部分に、辺見庸の言葉は真っ直ぐに浸透してゆく感じがします。

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