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読書記録です。
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2009.01.15 Thu
1998年12月2日発行  飛鳥新書  1200円
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ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹った78歳のモリス・シュワルツが、死を目の前に、どう生きたら良いのかを具体的にわかり易くアドバイスしています。
自分が病気になったときばかりではなく、病気の人の世話をするときにも助けになるし、病気以外の試練に立ち向かわなければならない場合にも参考になる本です。

高齢であっても、人生の最後の歳であっても、自分がどんな人間になりたかったのかを思い起こし、今、そうなろうと勤めなさい、とモリーは語っています。
重病を患って死が訪れるのを待っている人には、自分自身に親切にし、自分自身の死を哀悼するように、と勧めています。

モリーは進行性の病や死の恐怖と向き合いながら思索し、最期まで豊かな感受性を失わず生き生きと生きました。
そんなモリーの生き方は、どんな状況にあっても、人間としての尊厳を失わずに生きて行けることを私たちに教えてくれます。
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2008.12.13 Sat
1997年4月30日発行  集英社 2000円



ノンフィクションです。
1992年、アラスカの荒野に放置されていたバスのなかで、腐乱死体が発見されました。バスのなかで死んでいたのはクリス・マッカンドレスという名の24歳の青年でした。

4ヶ月前、マッカンドレスは単独で、簡単な装備でアラスカに向かいました。
そこで手に入る動植物だけを食料として生活をするというのが、マッカンドレスが自分に課したルールでした。
裕福な家庭の出で、優秀な成績で大学を卒業した青年の野垂れ死のようにな死は、それを知った人々の胸にさまさまな反応を引き起こしました。
自分とマッカンドレスがどこか似ているように感じた著者は、青年の生前の足跡を追い、その胸の内を探り当てようと試みています。

大学を卒業後、クリス・マッカンドレスは家族との連絡を絶ち、放浪生活を始めました。
父親に対する反発心もその一因でしたが、ジャック・ロンドンとトルストイに心酔していたマッカンドレスは、自分の理想どおりの人生を生きようと文明に背を向ける生き方を選択したのでした。

生きるということの意味を常に真剣に考え実践しながら、その信条が最悪の結果を招いてしまったマッカンドレスの人生に、人間が生きることの意味を考えさせらました。
2008.09.10 Wed
2003年3月31日発行 北海道新聞社 1800円



大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品です。
「進行性筋ジストロフィー」という病で、人工呼吸器を付け、寝たきりの状態で「自活生活」をしている鹿野靖明という人物がいる。24時間介護を必要とする鹿野さんの家には、主婦、学生、看護師など大勢の人々がボランティアに来る。それを本にしたい、と著者は知り合いの編集者から話を持ちかけられました。
「シカノ邸」を訪れた著書が出会ったのは、それまで重度の障害者に抱いていた先入観を覆す人物でした。迷惑をかけることは当たり前、「威張っている」ようにさえ見える鹿野さんのさんの態度に、著者は大きな戸惑いを感じます。
「人に迷惑をかけない。かけられたくない」と思いながら生きてきた著者は、期せずして自分自身の生き方と向き合わなければならい状況に追い込まれてしまいました。
尊大とも思える鹿野さんの介護ボランティアに来る人々の目的は何だろう、と著者の意識はボランティアの人々に向って行きます。
障害者の自立を描いた本というより、全く異質な生き方と出会った人の自分自身との葛藤を描いた本だと思います。

――現代社会を生きる健常者にとって、「ただ生きる」だけではどうにもならない時代である。今や、自分がフツウであると意識することは、苦しみをもたらす要素にすらなりうる。(中略)もっと個性的で、もっと魅力的な特別な生き方をしなければならないという思い込みが、私も含め健常者たちの生を追い詰める。(中略)ところが、重度身体障害者の自立に触れて、誰もがまず感じることは、「フツウに生きる」ことのポジティブで生き生きとした意味なのだろう――という部分は、とても考えされる一文だと思いました。

著者は30代での独身のフリーライターです。
子どもを育てたり、親の面倒をみたりという経験があれば、「人に迷惑をかけない。かけられたくない」とは思わないだろうし、もっと違った視点で鹿野さんを理解して描くことが出来たのではないか、と少し残念な気がしました。
2008.04.14 Mon
2006年10月11日発行  PHP研究所  1600円

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1990年に勃発したルワンダ紛争で多数派民族であるフツ族によって、100万人ものツチ族が虐殺されました。本書は、内戦のなかを生き抜いたツチ族の女性によって綴られたノンフィクションです。
1973年にフツ族の大統領政権に変わったころから、ルワンダでは人種差別政策が実施されるようになりました。
イマキューレが大学三年の1993年になると、フツ族のなかでツチ族への反発が強まり、インテラハムエというフツ民兵組織や過激派によるツチ族の虐殺が始まりました。非常時ということで大学の寮から実家に戻ってたイマキューレは家をインテラハムエに取り囲まれ、フツ族の牧師の家に逃げ込みました。イマキューレは牧師の家のトイレにツチ族の女性8人と一緒に、身動きもできない様な状態で、かくまわれることになりました。

昨日まで仲のいい隣人として過ごしてきた人々が、突然豹変し殺しあうようになる。そんな民族紛争は今も世界中のあちこちで続いています。その紛争のさなかには、ニュースや新聞の数行ではとても伝えらきれない残虐な行為も平然と行われているんだろうということが、この本を読んだことで容易に想像できるようになりました。

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